大久保のトークライブハウス、ネイキッドロフトの定期イベント「マンガワールド」の第52回目「名たんていカゲマン」に行って来ました。ちなみにイベント中の撮影・録音不可なので、そういうのはありません。
原作者や当時の編集者等が集い、誕生秘話や当時のエピソードを大いに語る同窓会イベントとして定着してますが、正直「何で今カゲマン?」という気はありました。原作の連載開始が1975年(昭和50年)で、てんとう虫コミックスライブラリー版全3巻の刊行は2004年(平成16年)ですから、特に今年アニバーサリーイヤーというわけでもないし、さては原作者の山根青鬼先生に何かあったのか?と、不穏な気持ちになってしまいました。
しかし壇上に上がった先生を見て、そんな気持ちは吹っ飛びました。お弟子さんのもりけん先生(一門名、山根黄鬼)の司会でまずはトークショーから。中学時代、富山で双子の弟の故 山根赤鬼先生と共に天才少年漫画家として地元紙で注目され、生涯の師となる田川水泡先生に兄弟そろって弟子入りし、家族そろって(!)上京するも3年間仕事がなく、父親が田川先生の所に怒鳴り込んだ際、先生が「この子たちはあなた方の息子だが、漫画家としては自分の息子なので任せて欲しい」と説得したエピソード等、日本マンガ史の知られざるエピソードが明らかになりました。人を育てるには時間が必要だという、一つの例えでしょう。(以下コアネタ多数)
そしてプロデビュー後に描いた『くろっぺ』という、影が伸びて小学生の主人公を助ける漫画を各出版社に送り、反応のあった小学館から「主人公を探偵に替えたほうがいい」というアドバイスを受け、『名たんていカゲマン』が誕生するわけです。ここでもカゲマンの頭の三本線は山根の「山」である話や、作品で使うCMネタを見るために、テレビはドラマ本編の時間に行ってた話、つきゆび男のモデルは当時の編集者だった話、その編集者が打ち合わせと称して下戸の先生を銀座に引っ張り出した話等、思わず前かがみしてしまうしまうネタが満載。盛り上がった所で、前半は終了しました。
後半は先生を慕う漫画家やイラストレーター等からなる、「山根一門会」によるライブドローイング。先生のお題に合わせて「鬼」の名を持つ先生方が即興でイラストを描くのですが、問題はそのお題。「相撲取る鬼」「フィギュアスケートするのらくろ(!)」「怪人19面相の仮面ライダー(!!)」「メソポタミア文明のカゲマン(!!!)」といった「あんた鬼や」といったムチャ振りが連発。先生に思わず「お前の正体は怪人19面相だろう」と言いかけてしまいました。
そこで先生が顔をベリッと引き裂き、片眼鏡でとんがり耳、へんたいアゴで青い顔のオヤジが「ガハハハハ」と笑えば面白かったのですが、そんな事はもちろんなく、先生は余裕の表情でスラスラとカゲマン&シャドーマンを描いていました。御年81歳、老いてなお盛んといった所でしょうか。
個人的にはコロコロアニキ辺りでまた『カゲマン』描いてくれたらいいなと思いますが(もしくは製作秘話とか)、今の所その予定はないみたいなのが残念な所。しかし頭も体もシャキッとしてる先生なら、いつ取り掛かってもおかしくないと重いつつ、家路を急ぎました。
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